25 years old / 君にピースあれ

6月9日の夜。


友達が亡くなった知らせを受けた。かけがえのない友達だった。
しばらく連絡をとっていなくても、いつもふとしたタイミングでひょっこり会うから、そういうもんだと思っていた。会う頻度と絆の深さなんて関係ないものだと。彼女はまだ25歳だった。


その笑顔は周りをとてもハッピーにさせてくれて。自分が辛いときほど笑うような。そんな女の子だった。具体的に何かできたわけじゃない。それでも。彼女からもらった何かに対して、自然と何か返せたらいいなあ、と思わせてくれる。そんな不思議な雰囲気を持った人だった。


のり子ちゃんが想いを書いてくれて。
それが自分の気持ちを綴る勇気になりました。ありがとう。
多分自分のため、というのが大半を占めるかもしれないけど、いくばくかは彼女と彼女を大切に想ってくれている人のためです。




6月9日。
結婚式を控えた友人から留守電が入っていた。留守電ってことは多分急ぎなんだろうなーと思いつつ、おそらく結婚式の事だろうと思って折り返したら、その知らせだった。
結婚式に出れないですまないということで電話が来た(彼女も出席する予定だった)事、彼女のお父さんと話したことなどを伝えられた。まだ帰る途中の渋谷で。共通の友人への連絡は頼む事にして、それ以外の連絡先で当たれそうなところを帰ってから探すつもりだった。
けど、一番に連絡したのは彼女の携帯だった。多分電話をかける時から決めていたのだけど、お父さんと話をして翌日お伺いさせていただく事に了解を頂いた。何故だかは分からない。でも通夜や告別式でもしかしたら顔を見れないかも知れないと思って真っ先に顔を見ておかなくてはと思ったのだ。
家に帰ってから連絡を受けた友人とかと連絡を取り、色々他の事は引き受けるからと。伝えた。でも第一報を受け取った立場でそうもいかないことも少なからずわかっていて。斎場の案内をメールで受け取った時に、このFAXをスキャンする気分を思って切なくなった。
それから彼女の劇団関係への連絡と、どうしても連絡をとりたいバンド関係の人との連絡方法を探し始め。こういう言い方は嫌だけど、こういった事が起こった時の自分の手際のよさがなんとも言えない。昔からそうだ。自分の感情が行き場を失ってヤバくなりそうな時に突如降りてくる。冷静に(時として冷酷にと言った方がしっくりくる)状況を分析し、やるべき事を迅速に処理する。おいおい、俺は悲しみに浸りたいのだよ。


6月10日。
友達に色々と連絡をする。その後彼女の家に行く。
世間的に言えば通夜と告別式に両方出るのだっていきすぎだ。ましてや。でも誰が止めようというのだ?
彼女が言う以外に止める術はこのときの俺の頭にはなかった。
ぞくっとするほど綺麗で。言葉はでなかった。死と生を別つものなんてそう簡単に見つかりはしないのだ。
一緒に行った友達と飲んだ。何を話したかはよく覚えてない。普段飲むことのない友達がよく飲んでいたのだけはやけに印象に残っている。


6月11日。
知らせを受けた2人の結婚式。2人ともとても大切な友達。
俺らの周りは分かっている。だからこそ、スーツを着た時に鏡の前でスイッチを入れた。今日はお祝いの日。前から決まっていたことだものね。
乾杯の挨拶を頼まれていて、本当はスピーチもなしにそそくさと進める予定だったのだけれど。でも、何かを言葉にしたかった。2人のために。俺の隣に座る予定だった彼女のために。
相当悩んで、悩んで。分かる人にだけ分かるように。気持ちを言葉にしました。
ハッピーな時間だった。この空間には2人を祝う気持ちの人たちしかいないのだもの。その時々にかかる音楽にじーんとしたり。特に"LUCY, CAN YOU SEE ORION?"と"SILVER STAR"にぐっときたなあ。


6月12日。
仕事なんか手につくはずもないよ。
懐かしい顔ぶれに沢山会ったよ。自分も含めて、みんな疲労の色を隠せるわけもなく。でも、誰よりも疲れている人がいるとみんな知っているから。
ご両親が「こんなに沢山来てくれるなんて・・・」って驚いていたよ。みんなに愛されていたんだよね。そんなのこんな事がなくたって誰だって知っていたはずさ。


6月13日。
なんとも言えない朝を迎える。自分の気持ちに整理がつかなくとも、儀式というものは滞りなく行われる。待ってなんかくれない。非情でもあり、助けを差しのべてくれるようにも思える。
昨日来た人も、来れなかった人も。
途中でちょっとありつつも。俺が誰かを非難する立場にはないけど、なんか昔のぐだぐだ加減を思いだしたようでちょっと嫌な気分になった。でも、自分で決めた選択であれば何も言うつもりはないよ。何がいいかなんて誰にも分かりはしないのだから。
最後に説法を聞いて、俺は仏教を信仰しているわけではないけれど、それぞれに死者を昇華する方法がないと、人は参ってしまうのだなあと考えさせられた。
みんなと帰ったのだけど、誰も言い出さなくてそれぞれ帰ったのはやっぱりみんな一人になりたいのかなあと。そんなことをふと思った。


 


沢山の人に気にかけてもらって、それがすごく助けになってます。
でもね、知らせを受けてから今日まで、涙が一滴もでないのだよ。
どうしようもないことだけれど。